2008.07.22 20:42 (火)  映画


宮崎吾郎第1回監督作品。

公開前は宮崎駿の息子が監督と言うことで話題になり、公開後は内容が酷評された。
そんな訳でネガティブなイメージしか持っていなかったこの作品。

とはいえ腐ってもジブリ、と思ってすこしは期待してTV放映されたのを見た訳ですが・・・。
なるほど、酷評された訳が良く判りました。



+ + +


○過去のジブリ作品にここまで鬱な少年主人公がいただろうか?

それは、皆がジブリアニメに期待しているモノ、ジブリが今まで培ってきた視聴者層が、この作品のターゲットとする層と全く違うから。
そもそも、公式サイトのフラッシュで表現されている世界観が、この映画の中に表現されていない。

そりゃあ、期待はずれと言われても仕方がないだろう。


まず主人公アレンが最もあり得ない。
あえてこの少年を主人公に据えた理由が全くないし、理解できない。
それを彩る否定的なアイテムも色々出てきますが、表現が直接的すぎ。
おかげでこの映画はあまり子供に見せたいとは思えなくなってしまった。ジブリなのに。


他にも冒頭のシーンとか。
魔法使いが力を失い、今まであり得ない場所に出現する竜が、あり得ないことに共食いをする。
これら全てが、世界の異常を示唆する大切な描写。
さらにはラストシーンへと繋がる意味のあるシーン・・・なんだろうけど、私には全く意味が理解できなかった。


少年少女が主人公のジブリアニメなら、色んな出会いや試練を経て主人公が成長し、その集大成として大きな事を成し遂げて大円団、となるのが常道だった。
観る方もそれを期待して見る。
なのに、それがない。
盛り上がりたくても、出来ない。


テルーの歌でいきなり近くなるアレンとテルー二人の関係も唐突。
ここは途中寝てしまったのか?というくらい飛躍する。

ラストはさらに凄い。
これはもう”トンデモ展開”と言っちゃって良いだろう。



○全てにおいて中途半端

これがこの映画を表す全て。

始まりのシーンも何処にも繋がらないし、途中経過で得るモノもないし、主人公の成長を象徴するアイテムもうまく使えていないし、ラストシーンは意味不明。

ジブリアニメは、主人公の少年少女に、それを観ている少年少女 ―これからの年代の子供達も、今まさにその年代の子供達も、かつてそうだった年代も― が一様に物語に感情移入できる凄さがある。
だからこそ親子一緒に盛り上がることができるし、そこから伝わる何かを共有できる、そこに良さがあると思っています。

なのに、この作品にはそれがない。

ハイタカとクモの禅問答なんか酷いモノだった。
言葉で詰め込まなくてもいくらでも表現できたはずのことを、表現出来無かったから詰め込んで言わせてみたって感じ。
そんなモノを延々と聞かされても、右から左に抜けるだけ。

っていうか、このシーンを見る限り、ゲド(ハイタカ)を主人公に据えた方がよほど描きやすかっただろうという気がするのだが・・・。
公式サイト:ゲド戦記(Flash必須)

<主題歌>
「時の歌」手嶌葵
<挿入歌>
「テルーの歌」手嶌葵

<キャスト>
アレン:岡田准一
テルー:手嶌葵
ハイタカ(ゲド):菅原文太

<スタッフ>
原作:アーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記」 清水真砂子訳・岩波書店刊
原案:宮崎駿「シュナの旅」 徳間書店刊
監督:宮崎吾郎
脚本:宮崎吾郎 丹羽圭子



テーマ : スタジオジブリ - ジャンル : 映画

タグ : ゲド戦記 ジブリ 映画

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